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[ No. 29 ] アスリートとのご縁D〜法政二高ラグビー部〜

2011/06/17

去る5月25日、法政二高ラグビー部員を対象に
歯・口腔外傷とマウスガード(マウスピース)の重要性についての講演をしました。

高校ラグビーは現在、競技中にマウスガードの装着が義務化されている上に、4月1日からはジュニアU-15の選手にも義務化され大変良い傾向と言えます。他のスポーツもこれに習ってもらいたいものです。

今回、法政二高ラグビー部において監督が、最適なカスタムメイドのマウスガードの装着が大切であることを全面的にご理解くださり、今後、マウスガードを通じてデンタルサポートをすることになりました。

当日の講演は一時間近くの長話になってしまいましたが、熱心に耳を傾けて聴いてくれた部員の皆さんに感謝!!
終了後、全員で集合写真を撮りましたが、息子のような年齢の高校生に、これからの日本を背負って立つ若々しい熱気あふれるパワーを感じました。

明るく活発なラグビー大好き少年たちの今後を、デンタルサポートをしながら見守りたいと思います。

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[ No. 28 ] 音楽家とのご縁@ 日野妙果さんのリサイタル

2011/06/09

去る5月24日、東京オペラシティ・リサイタルホールで開催された、メゾ・ソプラノの日野妙果さんのリサイタルを聴いてきました。
当日は、平日にもかかわらず、補助席がでるくらい満員で、熱気あふれる一夜でした。
プログラムはシューベルト、シューマン、リストの歌曲に加えて、東日本大震災で被災された多くの方々を思う気持ちを込めて、急きょ日本歌曲5曲が追加されました。
プログラムのテーマは、ビーダーマイヤー時代で、19世紀前半ドイツ・オーストリアにおいて、身近な日常の中に、真なるもの、美なるものを求めて花開いた市民文化の総称ですが、音楽でも、家庭内や親しい人々が集い、楽しむ為の曲が数多く作曲されました。
シューマンの「女の愛と生涯」は、日野さんの、大げさでない、ある意味では控えめな表現の中に、ひたすらに愛に生きる女性の心情が熱く表出した歌唱で、日本を代表する名伴奏者の小林道夫氏のサポートと一体化し、感動を覚えました。
リストの歌曲は、彼の超絶技巧のピアノ曲とは反対に、素朴で抒情的な作品が多く、とくに今年は生誕200年の記念すべき年なので、まとめて聴いてみたい思いです。
リストは「音楽は人々の生と死において、幸福と安らぎを与えるもの」と言っていますが、正に日本人の現状を見ると、身につまされる思いがします。
最後のアンコールで歌われた、シューベルトの「野ばら」を聴いて、ほっとした、すがすがしい感慨を久しぶりに覚えた一夜でした。
終演後、ロビーで日野さんとあいさつを交わし、写真を撮りました。
今後も、日野さんの歯の主治医として、またファンの一人としてお付き合いさせていただきます。

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[ No. 27 ] 6月のお知らせ

2011/05/31

うっとうしい梅雨の季節が、もう間もなくやってまいりますね。
6月は、水無月(みなづき)と呼ばれます。梅雨が終わり田んぼから水が無くなることから呼ばれたのではないかという説が有力みたいです。

6月の休診日のお知らせ
6月25日(土)学会出席のため休診致します

森 歯科医院
最新トピックス♪
@無呼吸症候群に対する治療体制を整えました
Aほとんど痛くない麻酔
Bドッグ・ベストセメント(歯髄保存)
詳細は追ってお知らせいたします!!

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[ No. 25 ] 当医院のBGM:マタチッチのこと(続き1の続き)

2011/05/17

このことから、当然ベームのときのように椅子に腰かけて指揮するだろうと思っていたが、そんな危惧はマタチッチに関しては全く不要だった。
その登場シーンは、本当に感動的だった。足取りは多少ゆっくりしているとはいえ、生来の体格の良さも手伝ってか、風雪に耐えぬいた巨大な老木が現われたといった感じで、低い指揮台に立った姿には現代の流行指揮者にはみられない、着実に歩んできたキャリアの重みを背にした、19世紀生まれの最後の巨星が輝いているようであった。私は充実した感激を覚え、我を忘れて拍手を送った。他の聴衆もみな同じ感動を覚えたのか、拍手がなかなか鳴り止まず、マタチッチも何度か聴衆の拍手に応えて、ようやく演奏が始まった。

例によって指揮棒を持たない、動きの少ない指揮であるが、演奏が佳境に入ると両手を上げ、指を広げて踊るような指揮ぶりで、マタチッチ自身も乗りに乗っていたに違いない。演奏そのものは全く申し分ない超名演で、豪放な中にも、構築がしっかりしており、枯淡の境地も垣間見ることができ、息もつかせぬ演奏だった。特にコーダはチェリビダッケ=シュトゥットガルト放送響、クナッパーツブッシュ=ミュンヘン・フィルのウェストミンスター盤の演奏と共に、小生の頭の中に焼き付いて離れない素晴らしい高揚ぶりであった。

この日の演奏はノヴァーク版であったが、マタチッチは楽譜の随所に多少手を加えて、自己の考えるブルックナー像を積極的に表現しているように思えたが、それが決してわざとらしい、押しつけがましいものにならないのが素晴らしい。

ブルックナーと言うと、とにかく音響的な面ばかりに目が向いて、ややもするとムード音楽的になる危険性があるが、マタチッチのこの日の演奏は、武骨ともいえるほどの造型のしっかりした男性的なブルックナーで、その中にも自然への祈りが込められた名演であった。こんな充実した、演奏に引き込まれるようなブルックナーは、そう滅多に聴けるものではない。
全曲が終わったあ後、感極まった聴衆がステージ下に並び、盛大な拍手のなか、マタチッチは何回となくカーテンコールに立ち、楽員たちが楽屋へ引っ込んだあとも2、3回出てきた。本当に惜しみない拍手を心から送った。それと同時にまだまだマタチッチは健在なりといった安心感が心をよぎった。

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[ No. 24 ] 当医院のBGM:マタチッチのこと(続き1)

2011/05/16

5月のBGMは先に述べたプログラムですが、ここで私が好きな指揮者の一人であるマタチッチについて、1894年の来日講演について、少し詳しく述べてみます。

マタチッチは1984年3月に、N響定期を指揮するために、実に9年ぶりの来日をした。
私が初めてマタチッチを知ったのは、11歳の時、NHKが招聘した「スラブ歌劇団」での「ボリス・ゴドゥノフ」の歴史的な、今でも語り草になっている超名演を、テレビで聴き、そのダイナミックな演奏と、独特な指揮姿、それに一度聞いたら忘れられない名前とが相まって、鮮烈な印象を受け、それ以来熱烈なファンとなってしまった。

マタチッチはそれ以来単身で何度も来日し、N響の名誉指揮者に就任したが、1975年の来日以来、なぜか長いブランクが生じてしまった。
そしてようやく1984年の3月の来日が実現した。

結果的には、この来日が巨匠の最後の来日となってしまったのだが、この時のブルックナーの交響曲第八番は、
圧倒的な名演で、恐らくブルックナーの演奏史上に残る金字塔と言っても過言ではない。

私は、3月7日の初日を聴く幸運に恵まれたが、チェリビダッケのブル8と共に、生涯忘れ得ぬ演奏となった。
この日の演奏は、NHK・FMよりスペシャル番組として、全国に生中継された。

実はマタチッチのブルックナーは、ワーグナーと並んで以前から定評があり、事実N響でも何回か指揮している。レコードも5番、7番のスタジオ録音(チェコ・フィル)、1981年のチェコ・フィルとの9番のライブ録音などがあり、5番もライブでオンエアされたことがある。それらの全てが名演の誉れ高いが、特に8番はブルックナーの交響曲の中でも傑作なので、いやがうえにも
期待で胸が高まったが、なにぶんにも全曲一時間半くらいかかる大曲であり、マタチッチも85才の高齢であったので、カール・ベームの最後の来日の時と同じように、内心かなり心配した。
実際プログラムにも、高齢のため今後の来日は、不可能であると思われる旨が明記されていた。

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[ No. 21 ] 音楽家とのご縁@―日野妙果さん(2)

2011/05/06

日野妙果さんが今回、5月24日(火)午後7時〜東京オペラシティでリサイタルを開きます。
詳細は写真でご覧下さい。

日野妙果さんは往年の名ソプラノ、グンドゥラ・ヤノヴィッツの直弟子で、またテノールの巨匠エルンスト・ヘフリガーとはウィーンの家が近く、また、ヘフリガーが一時中心となっていた「草津音楽祭」には毎年出演されています。

ヘフリガ―がスイスのダボスで亡くなった時は、葬儀に参列し、追悼にシューベルトの「夕映えの中で」を歌い、参列者の涙を誘いました。

今回は我が国を代表する、世界的な名伴奏者、小林道夫氏が伴奏をされます。
お二人は草津音楽祭でご共演され、それが縁で今回のリサイタルでも共演が実現したそうです。

プログラムには、東日本大震災のお見舞いを込めて、日野さんの希望で、日本歌曲も追加されます。

新緑のさわやかな五月の宵
ぜひ皆さんもご高聴されますことをおすすめします
心洗われる充実したひと時を過ごしましょう。

なお、チケットば当院の問い合わせサイトか、直接当院へお電話下さい。

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[ No. 20 ] 音楽家とのご縁@―日野妙果さん(1)

2011/05/06

1995年8月、スイスのルツェルンで開催された
ハンス・ホッターのマスタークラスでは、
生涯を通じてのお付き合いとなる、日本人歌手の方々との出会いがありました。

国際的に有名な「ルツェルン音楽祭」の中の一環として行われたマスタークラスで、音楽祭期間中、
写真右のようなポスターが街のあちらこちらで見かけられます。
演奏会はクンスト・ハウスなどで行われますが、マスタークラスは小高い丘の上に立つ、お城のような「コンセルヴァトワール・ルツェルン」で開催されました。(写真左)

この時初めてお目にかかったのが、受講生として参加されていたメゾ・ソプラノの日野妙果さんでした。
受講生と言っても、もうこの時すでに歌劇場等で歌っていらしたので列記としたプロ歌手ですが、いつもホッターのコースにはプロの歌手も参加されていたので、充実した熱気あふれるマスター・クラスとなりました。

日野妙果さんは、私のような全くの素人に対しても、分け隔てなく接し、また歌に対してもはっきりと的確なアドバイスをして下さるので、お互い言いたいことを言える仲間となり、現在もご主人と共にお付き合いさせていただいています。
そして、ウィーンからご帰国の際は、毎回ご主人と共に必ず私の診療所にご来院され、治療・管理してウィーンに戻られます。
長い間ウィーンを拠点として、オペラ、リート、オラトリオ等にご活躍されており、ご家族一家ともども私との付き合いも16年になりました。やはり、出会いとご縁は大切であると痛感しております。

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[ No. 19 ] 澪(みおつくし)A

2011/05/02

ところで、物質的や経済面の活性化に基軸を置いて走ってきて、バブルが崩壊して久しいが、気が付いてみると、現在の日本はちょうど澪(みおつくし)を失った、行き先のわからない船に乗っているように思えてならない。
「みお」とは「水尾」の意味だが、船が安全に通れる水路のことで、「つ」は雅語の助詞、「くし」は「串」のこと、つまり木を表す。まとめると、「みお(水尾)を示すために立てる木」のことであるが、今の日本は正にこの船の航海にとって大切な「澪」を全く失ってしまったのではないだろうか。
年号が平成になりすでに20年、オギャーと生まれた赤子が成人になっているのだ。この辺で我々はもう一度、人間とは何か、自然との共存等、地球環境を含めて真剣に、謙虚に考えなくてはならない重大な岐路に立たされているように思う。
歴史の輪廻を振り返ってみると、形は違っても同じような時代はあったはずだ。その時先人たちはその危機をどのように乗り越えたのか、参考にするのも一手かもしれない。

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[ No. 18 ] 澪(みおつくし)@

2011/05/02

診療室の向かい側のビルのテラスには、つつじが蕾を開き始めました。いよいよ新緑の季節がやってきます。
昨日、平成20年に「デンタルタイムズ21」という業界新聞から依頼され書いた拙文がでてきました。
現在、日本は様々な面で大変な時期にありますが、奇しくも、私が平成20年に書いた内容と全くと言っていいほど変化がない状態が続いています。
そこで、全文をそのまま、加筆・訂正なしに掲載しますので、ご一読ください。

2008年、平成20年も、早半年が過ぎようとしている。二十一世紀に入り十年目に至ったが、十年ひと区切りの昨今の世の中は、2008年にあやかって、末広がりといきたいところだが、現状は、政治、経済はもとより、全ての職業、職種において、問題が山積どころか噴出し、もはや手も足も出ない混沌とした状態に陥ってしまった感が強い。
にわかに露呈した年金問題、後期高齢者医療保険制度、介護保険制度の不可解な問題など、国民の医療福祉の根幹にかかわる重要な制度が正に崩壊の危機に直面している。
さらに食の安全性もおびやかされ、偽装や自給率の低下、それに反比例するかのような輸入食品の増加、外食産業の普及による家庭における食卓の団欒の減少、それに伴う家族の絆の希薄化、少子化による労働力確保の問題、必ず到来することが分かっていながら、放置したままで今になってあわてている団塊の世代の退職問題等々、枚挙にいとまがない。
確かに世の中は、日進月歩の勢いで便利になっている面も多いが、反面急速なIT化の波に翻弄され、携帯電話やパソコンの普及のため、対人、対面関係が著しく苦手な若者が増え、それが異常ともいえる犯罪へと発展してしまうことも多い。正に「便利なものには裏が在る」のだ。

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[ No. 16 ] スポーツに係わる人とのご縁@

2011/04/28

久しぶりに、ストレングストレーナーの沼田幹雄さんが、治療のためにご来院なさいました。

沼田さんは、現在アメリカンフットボールのトレーナーとして、「ノジマ相模原ライズ」、「日本大学フェニックス」でご活躍し、多忙な毎日を送っていらっしゃいます。

私と沼田さんとの出会いは、もうかれこれ十数年前にさかのぼりますが、私が意を決して入会した某フィットネスクラブで、インストラクターとして懇切丁寧なご指導をしてくださいました。

しかし、私は首から下のトレーニングを充分にしないまま、もっぱらイベントのハイキングや屋形船に参加し、会員仲間と楽しいひと時を過ごしていました。

その後、私自身も多忙になり通う時間が取れないまま、退会した後も、沼田さんとは、歯の治療等を通じて現在までお付き合いいただいております。

人との出会いと絆―本当に大切にしたいですね!

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