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[ No. 15 ] 5月の休診について

2011/04/25

5月の休診について
5月3、4、5日は休診とさせていただきます
なお、7日は歯科検診で出張の為、午後休診させていただきます。
さらに、21日は学会出席のため終日休診させていただきます。

写真は診療室の窓から見た風景で、目下ハナミズキが満開です。つい最近まで桜が満開でしたが、約100年前当時の東京市長、尾崎行雄氏がワシントンに桜を送り、その返礼としてハナミズキがやってきました。
田園調布の当院からは桜からハナミズキへの移り変わりが眺められ、大変心が和むひと時を味わえます。

ちなみにハナミズキの花言葉は、

「私の思いを受けて下さい」
「公平にする」
「返礼」
「華やかな恋」

だそうです。

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[ No. 13 ] マウスガードの作製体制を完備

2011/04/22

この度、当院では最新鋭のドイツ製サーモフォーミング成形器を導入し、マウスピース、マウスガードの作製体制を完備しまし。

これにより、お口の型を採ってから、マウスガード完成までのスピードが大幅に短縮されます。
この器機は、スポーツ種目によってシート材の厚みを自由自在に調整できる上に、吸引と同時にマウスガードで重要な下顎の歯牙の圧痕を、容易に付与することができる優れ物です。

いよいよ「日本スポーツ歯科医学会」公認のマウスガードテクニカルインストラクターとして、腕を振るう時が来ました。

今後は、アスリートの皆さんに、各個人に最適なマウスガードを提供できるものと自負しています。
現在用いているマウスガードに不満がある方や作り替えたい方、その他マウスガードに対する疑問や質問のある方は、是非ご連絡下さい。

様々なスポーツに対応した最良のマウスピース・マウスガードを、最短の期間で作製します。

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[ No. 12 ] 当院のBGM♪

2011/04/19

当院のBGMは、院長の膨大なSP・LP・CDなどのコレクションから毎月、院長自ら独断と偏見で厳選?した曲を流しています。
そして時々、患者さんから曲名などを質問されることがあるのですが院長のうんちくはとても趣味の域を超えたもので話し出したら止まらないのでお気を付け下さい。
ですので今後、BGMが変わるたびに曲についての説明を書いてもらう事にしました。(遠藤)

今月のBGM
ブラームス 交響曲第1番ハ短調
ベートーベン 交響曲第2番ニ長調 7番イ長調
モーツァルト 協奏交響曲k.364
ハイドン 協奏交響曲変ロ長調

院長より
ブラームスとベートーベンの曲は今は亡き巨匠ロヴロ・マタチッチが1984年3月に9年ぶりの来日した際、N響定期演奏会で振ったライブ録音です。

この時の来日では他に歴史的な名演と言われるブルックナーの交響曲第8番もLP・CD化されています。幸運にもこれらの名演を実際に生で聴くことができ、その時の衝撃的な感動は今でも耳について離れません。ブラームスとベートーベンともに素晴らしい演奏でしたが事にベートーベンの7番はフルトヴェングラ―、シューリヒト、Cクライバーに勝るとも劣らない名演だと思います。細かいフレーズについては述べたらきりがないので別の機会にゆずります。
                    続く

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[ No. 11 ] ハンス・ホッターのこと〜4〜 続き

2011/04/16

何と含蓄のある文章であることか!!
まさに長い人生を生き抜いてきた達人の、行き着いた境地ともいうべきであり、と同時に洋の東西を問わず、出会いの不思議さ、大切さを改めて思い知らされるのである。

蛇足ながら、私の歯科医師人生においても様々な出会いがあり、特に人との出会いによって様々な意味で助けられ、育てられてきた様な気がします。それは人生行路の終着点まで続くでしょう。

昨今、急激な文明社会の高度発達により、人とのつながりがこれほど大切な時代はないように痛感しております。
特に今回の東日本大震災を機に、人間関係とは何かをじっくり考えるときかもしれません。

なお、写真は1998年オーストリアチロルのWoerklでのマスタークラス打ち上げの際、撮影したもの。右は受講生の学生、小生も若い?

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[ No. 10 ] ハンス・ホッターのこと〜4〜

2011/04/16

巨匠が世を去って8年過ぎ去り、歌曲の歌唱の伝統も変化しつつある。しかし今後、ホッターのような、歌を通して人間を語れる歌手がいつ現われることだろうか?!

私は今、1994年に出版された、ホッター自身が記した『回想録』の、日本語版の出版をすべく準備をしている。この著書は、丁度ホッター邸を訪問した時、出版されたばかりで、ホッター氏自ら献呈の言葉を金文字で書いて下さり、日本人で最初に手にしたのはお前であるとおっしゃり、いただいた本当に貴重な宝物である。
その時、日本語版を出版したい旨をお話すると、即座の許可して下さり、喜んでいらっしゃる様子だった。

この本の副題は、シューベルトの「冬の旅」の第一曲目の一節にあるDer Mai war mir gewogen(五月の花は私に対して好意的だった:直訳)であるが、そのことについて、ホッター自身が序言で述べている部分を翻訳してみよう。

『五月の花を贈られて』(森・訳)というこの本の副題についてもう一言だけ付け加えておこう。『冬の旅』の第一曲の歌詩からこの言葉を取ったのだが、それは、私の大好きなこの作品と、私の人生とを直に結び付けようと意図したからではない。私の生涯、とりわけ歌手としての生活を振り返ってみると、本当に恵まれた星のもとにあった、と言えるだろう。私はこの思いを、この本のタイトルに込めたかったのである。私が自ら意識しなくても、様々な出来事が自然に起こり、様々な人々が私の人生に現れ、それら全てが私の人生に好意的だった。
この生涯を通じて、私はこのような運命に恵まれていたと思う。だからまさしく、私はこの人生で『五月の花を贈られた』と思うのである。」

                    続く

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[ No. 9 ] ハンスホッターのこと〜3〜

2011/04/12

このようにして、2003年12月6日の私にとって衝撃的な巨匠の死まで、ホッターの追っかけが始まった。

図々しく自宅を訪問したり、手紙のやりとりだけにとどまらず、長年使わずに忘れてしまっていたドイツ語を、単語を並べてたどたどしい国際電話をかけたりした。

そして何よりも楽しく、意義あったものが、マスター・クラスの聴講であった。
その内容の充実と素晴らしさについては、とてもこの項では並べる余裕がないので、別の機会にゆずるが、最後となったマスター・クラスはオーストリアのチロル地方の小さな町ヴェルグルで、何と巨匠92歳の夏であった。
しかもこの時、小生は受講生として直にホッターの指導を受けた。アマチュアの日本人では私一人であり、大変緊張した夢のような時間だったが、ホッター自身から「あなたは今後は、アマチュア歌手として、歌い続けなさい」という、うれしい言葉をかけられて、私にとっては正に神の啓示に聞こえ、今でも「歌う歯科医師」として、毎年、恥も外聞も捨てて人前で歌っている。

写真は巨匠最後の来日となった、1986年10月高輪プリンスホテルで撮影(当時76歳、小生?歳)したもの。

なおこの時の来日では、音楽の友ホールで唯一回のリサイタルがあったが、来日の主な目的は音楽大学でのマスタークラスで指導するためだった。
これを機会にドイツでの3度にわたる、日本人の生徒を対象としたマスタークラスが実現することになったのです。

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[ No. 8 ] 田園調布の桜が満開に・・・・

2011/04/11

昨日、田園調布駅前の桜が満開になっていたのでお花見に行ってきました。

今年は東日本大震災の為、派手なお花見は自粛ムードですが、田園調布駅周辺は毎年静かなお花見ができ、お気に入りのスポットです。
昨日も、平日に比べ人出は多かったとは言え、天候にも恵まれ旧駅舎を取り囲むように抱えられた桜が見事に満開になっていました。

3月の悲惨な災害が起こって一カ月ですが、自然の恵みは規則正しく、桜は何事もなかったかのように咲き誇っています。

桜前線も日毎に北上し、被災地にもようやく春が訪れ、桜の開花も間近ですが、日本人に長く愛され続けてきた桜を見ながら復興に思いをはせました。

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[ No. 7 ] ハンスホッターのこと〜2〜

2011/04/08

その日から、私にとってシューベルトの歌曲は、常にホッターの「冬の旅」、「白鳥の歌」を基準として、心の中で大きなかけがえのない存在として膨らんでいった。そして長じて大学入学の年、初めて生で聴いたホッターの「冬の旅」(トム・ボーレンのピアノ)は、正に衝撃的な感動を通り越え、やさしく疲れた心を癒してくれる、神の愛の啓示に他ならない真の名演であった。その後、ホッターはジョフリー・パーソンズを伴って来日し、「冬の旅」のプログラムは、それが日本では最後となってしまった。それ以来、私は録音として残された四種類のレコードを聴きながら、その実演の余韻に浸っていた。しかし、1982年6月24日、突如73歳のホッターが、ホーエネームスの城リッターザールの「シューベルティアーデ」で、ペーター・シュライアーのピンチヒッターで歌った「冬の旅」の実況録音(コンラート・リヒターのピアノ)がFM放送でオンエアされたのを聴くに及んで、私のホッター熱が再燃してしまった。
畏敬と感謝の気持ちを直接伝えたいと思い立ち、ついに御本人に手紙を出した。もとより一ファンの手紙などに返事は期待していなっかったが、後年身を持って接したその誠実な人柄ゆえ、大変丁寧な返事を受け取り、その上1986年に日本に行くので、その時会いましょうということになった。熱烈なファンの一人として正に夢のようであり、年齢(当時76歳)を考えると、これが最初で最後の機会になるのだろうと考え、実際にお目にかかった際は、写真を撮りまくったり、何枚ものレコードジャケットにサインをしてもらったり、今思い返すと恥ずかしい限りである。

                    つづく

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[ No. 5 ] ハンスホッターのこと〜出会い1〜

2011/04/04

私は人との出会いは勿論のこと、全ての出会いは、その人の人生行路に大きな足跡を残すものであると確信している。
 私にとっては音楽、それもとりわけドイツ歌曲との出会いは、正に人生を決定付けると言っても過言ではないほど大きなものであった。

物心ついた頃から音楽を聴くことが好きだった私は、小学校五年生の時聴いた、ドイツのバス・バリトンの巨匠、ハンス・ホッター=ムーアのシューベルトの歌曲集「冬の旅」のレコードによって、ドイツ歌曲に開眼させられた(写真)。今思い返すと、小学生の身で「冬の旅」を聴くとは、何とませた子供で、気障な話だと思う。もちろんその年代で、詩の内容が理解できたわけでもないし、当然のことながら、ドイツ語も全くわからなかった。

しかしドイツ語の持つ特有な子音と、シューベルトの歌曲の旋律とテンポ、リズムの詩への密接な接近は、多感な感性が芽生え始める前の少年の琴線に、しっかりと触れた事だけは事実である。そしてなによりもそれを可能にしたのは、巨匠ホッターの歌唱だ。当時フィッシャー=ディースカウの微に入り細をうがつ「冬の旅」のレコードも発売されていた。
しかし、ホッターの淡々とした何のてらいもない表現の中に流れる、深々とした人間の自然な息使いの歌唱に、バス・バリトンという声域からは想像もできないほど暖かい、脈々と流れる人間味あふれる誠実さに、身の震えるほどの大きな感銘を覚えたのだ。

                     つづく

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[ No. 4 ] 4月は出会いと門出の月

2011/04/02

人間にしろ、事物にしろ、自然にしろ、人生は出会いの連続である。しかもそれは意識して生じるものではない。
生涯忘れ得ぬものとの出会いは、人生の時間の流れの中で、はなはだ偶発的な出来事であることが多い。

そして時として、その後の人生に、良くも悪くも大きな影響を与えることがままある。
特に若い頃の出会いは、その人の人生の進むべき方向までをも決定しかねない、重要な意義を持つことがあると、私は痛感している。

さらにこの世で生を受けた者は必ず滅びるという、ごく当たり前な自然の摂理がある。だからこそ、人との出会いは、一回一回を大切にしたいものだ。

それは正に、「一期一会」の精神にも通じる。
この熟語は120年前、大老の井伊直弼の『茶湯一会集』の中の、「そもそも茶の交会は、一期一会といひてたとえば、幾たびもおなじ主客と交会するも今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の会なり」から出た言葉であるが、確かに何回も同じ客人と茶の湯の会を催しても、今日のこの会は、二度と帰って来ないので、大切にしなくてはならないのである。

もしかしたら、今日が最後になることだってあるに違いなく、正に「会った時がまた別れの時」かも知れない。

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